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この間、前から行きたいと思っていたラーメン屋さんに初めて行って来た。
大和市にある、うまいヨゆうちゃんラーメンっていうお店。
家系ラーメンっぽくもあり、スープはガチの久留米ラーメンを思わせるほど濃厚。
最近、この辺じゃ人気のラーメン店だ。
うん、マジで美味しかったよ。
頂美豚骨かたおか@小田急相模原。ゆーとラーメン食べに行ったよ。
負け犬人生。

タイトルと書き出しがまるで合っていない。
そんなツッコミが聞こえて来そう。
これまでの29年のサラリーマン人生の中で、真剣に、何度かラーメン屋になろうと思った事がある。
リストラとうちゃん、ラーメン屋じゃなく今もサラリーマンなんだけどね。
ラーメン屋をやろうと思った理由はこんなところ。
- ラーメンが好きだから
- 物を創り出す事が総じて得意(絵を描く事、文章を書く事とか。若い頃は真剣に映画の世界を目指していた)
- 一発当てたらデカそう
でも、今、ラーメン屋にはなっていない。
今も相変わらずサラリーマンのままだ。
サラリーマンが嫌だからと理由で、ラーメン屋になるという発想は失敗の元凶と分かっているから。
ラーメン屋はそれほど甘くはない。
そういう理由でラーメン屋を始めるのって、ラーメン屋で成功してる人から見たらオマエさん、そりゃ甘くないかい?って言われそうだし。
って言うか、間違いなく言われる。
で、一方でサラリーマンとして成功しているかというと、とてもじゃないがYESとは言えないリストラとうちゃんのこれまでの人生だ。
死にかけた病気をした事で、サラリーマンとしての負け犬人生は決定的なものとなった。
この話を続ける上で、大切な事がある。
それは「負け犬人生」とはどういう人生かという事。
リストラとうちゃんは、その定義を「自分の思う通りに生きる事が出来ない(出来ていない)人生」としたい。
それがここで言う負け犬人生という事。
言い換えると、自分の今に満足出来ない人生。
まあ、そういうと、ほとんどの人がそれに当てはまると思う。
度合いはあるけれど、100%満足する人生をそもそも送っている人っているのかというのもあるけどね。
まあ、こういう人でもない限り、自分の人生に100%の満足を得られるって事はそうそうないと思う。
- 国家予算並みの資産を持ってる人
- ワールドクラスの才能を持っているスポーツ選手
- 並外れた頭脳を持ってる人
総理大臣だって自分の思う通りには生きられない。
タワマンの最上階に住んでる人だって、周りの人が全て自分の言う事を100%聞いてストレスフリーな毎日を送っているかというと、そんな事もないと思う。
そういう意味から言うと世の中を見渡した時に、100%自分の思う通りに生きている人って実際にいるのかどうかって疑問に思う時もある。
リストラとうちゃんの場合はもちろん、ここに並べた事なんてかすりもしない(笑笑)
だから、自分のこれまでの人生を振り返った時に満足しているかと言うと、とてもじゃないけれど満足はしていない。
満足出来ないのは仕方ないとして、一番の問題は理想(満足)と現実(不満)のギャップの大きさだ。
自分の目指す事、したい事と現実との間にあるギャップを思うと、マジでやり切れない気持ちになる事がある。
それは正直な気持ちだ。
100%満足出来ないにしても、ギャップが出来るだけ小さければ、思うように生きられないストレスからは幾分、解放される。
そういった意味では、リストラとうちゃんは自分の今はギャップは大きいと考えているので、完全に負け犬人生の真っ只中にいると思っている。
そして、恐らくは残りの人生をどんなに頑張って生きたとしても、負け犬の称号を返上する事は出来ないだろう。
アラフィフとうちゃん、マジで今日死にかけたよ・・・。
負け犬人生を返上するのは無理ゲー。

リストラとうちゃん、周りの人(特に自分より若い人)からいろいろと相談をされる事が多い。
で、相談される事と言えば、実に多岐に渡るのだけれど、「自分の人生、どうあるべきか」という事がそこに包含されているように思う。
その時にこうしたらいいよ、というアドバイスは出来ないけれど、自分はこう思うという話をする事は出来る。
申し訳ないけれど、僕の経験からは人生の悩みからはどうあがいても逃れる事は出来ない。
そして、つきまとう不満を小さくする事は出来るけれど、キレイさっぱりと解消する事は出来ない。
それは無理だ。
勉強したり、資産運用してお金を増やしたり、いろいろと努力をすれば不満は小さくする事は出来る。
でも、ゼロには出来ない。
ゼロにするためには、世界征服でもして全人類の頂点に立たないと無理だとリストラとうちゃんは思っている。
一方で、惜しみない努力をして不満を小さくしたとしても、時間が経てばその不満はまた大きくなる。
それは幸せとか不満って、それを抱える人の主観に過ぎないからだ。
特に幸せとは一度、手に入れてそれが当たり前になるとその絶対的な価値はどんどん小さいものになる。
だから、到底、満足する事など出来ないのだと思う。
波打ち際で一生懸命、砂の山を作っても後から波がやって来て、全てをさらってしまう。
そんなものだ。
だから、リストラとうちゃんは負け犬がデフォだと思う事にしている。
どんなに足掻いても、人生とは満足出来ないもの。
でも、だからと言って悲観する必要はない。
満足出来ない人生だとしても、自分が死ぬ時に人生楽しかったなと思えればいい。
人生が満足できるのか、出来ないのか、勝ち組なのか負け犬なのか、それに対してどんなに足掻いても大抵の人は報われない。
真面目な人ほどそのギャップに悩み、精神を病んでしまう。
だから、そうなる前に、負け犬人生である事は受け入れて、その上で人生を楽しんだ方が良いという事。
それはリストラ寸前になって、とうちゃんが気付いた事だ。
絶対的な能力も資産もない人が、中途半端に努力をしても頂点に立つ事は出来ない。
その現実はなるべく早めに見極めた方がいい。
で、受け入れた上で、楽しい人生を送ればいい。
人生が満足できるかどうかと言う事と、楽しむという事は別の話だったりするもんだよ。
パワハラって日本は年功序列社会なので無くならないよね。
うまいヨゆうちゃんラーメン@大和市。

うまいヨゆうちゃんラーメン、久留米ラーメンっぽい。
スープを飲み干すと、どんぶりの底に砕けた豚骨の細かいかけらが残ってた。
多分、呼び戻しという久留米ラーメン独特の手法と同じようなものでスープを作ってるのだろう。
この日は太麺を選んだけれど、細麺だとマジで久留米ラーメンそのものになると思う。
ラーメンをすすりながら、37歳から4年半を過ごした九州での事を思い出した。
プライベートでは楽しかったけれど、仕事はマジでキツかった。
でも、今思えばあの4年半の経験が今の僕一部を作っているのだと思う。