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思えば、これまで横浜の鈴一について、ちゃんと語った記事ってなかったと思う。
注:記事の中で触れた事はあるけどね。
通勤が東京なので立食いそばと言えば、どうしても都内のお店が中心になる。
けれど、これでもアラフィフとうちゃんは神奈川県民である。
やっぱり、立食いそば好きとしては鈴一について、ちゃんと語っておかないと。
立ち食いそばまとめ。神奈川界隈編。
きそば鈴一@横浜。

上にリンクを貼った記事。
神奈川界隈の立食いそばを語っているのに、その中で鈴一が紹介されていないなんて・・・。
そう思った立食いそばフリークも多かった事と思う。
言い訳ではないのだけれど、鈴一を紹介出来ない理由があった。
それはなかなか写真が撮りにくいお店だからだ。
鈴一は横浜の相鉄線改札口を出て、5番街のほぼ入口にある。
雑踏とした雰囲気の中で、カウンターだけのお店を構えている。
しかもそのカウンターも3、4人もそこにいれば満員という状態。
外には小さめのテーブルが置いてあり、カウンターが一杯の時はそこで食べる。
しかしながらテーブルであっても、そこは小さいスペースなのですぐに埋まってしまう。
仕方ないので、カウンターとテーブルの両方からあぶれた客は、鈴一のお店の前、つまり道路上でそばを手繰る事になる。
もちろん、どんぶりを持って立ったまま、だ。
そんな事で、鈴一に行っても自分に供されたそばを写真に撮るチャンスがほとんどないのだ。
本当はこのブログで神奈川の立食いそばを紹介する時は、真っ先に取り上げたいくらいだったのだけれど。
鈴一の歴史は相当古い。
なんでも横浜駅の5番街商店街にお店を構えたのは、昭和46年との事。
アラフィフとうちゃんがまだ2歳の時だ。
尤も、アラフィフとうちゃんが鈴一に通うようになったのは、社会人になってからの事なんだけどね。
前述の通り、お店はほぼカウンターだけ。
でも常連客はそんな事はお構いなし、だ。
むしろ常連である事を誇るかのように、どんぶりを持って路上でそばを手繰っている。
そう、路上で立ったままそばを手繰る事こそ、この店の常連の証だ。
最近は立食いそばのお店と言えども、本当にそのレベルは高くなって来た。
そばにはきちんと蕎麦粉も入っているし、天ぷらもネタにこだわっているお店も多い。
そういう意味では鈴一はその対極にあるお店と言って良いかもしれない。
なにしろ、そばはフニャフニャだし、天ぷらは小麦粉を揚げただけ、という感じ。
しかもお店自体、ヤバいくらい年季が入っているし・・・。
でも、それが「立食いそば」なのだと思う。
昔の立食いそばって、どこもこんな感じだった。
どんなに意識高い系の立食いそばが流行っても、鈴一のようなお店はいつまでも営業を続けて欲しい。
きそば鈴一の存在価値。

例えばラーメンである。
以前から、意識高い系のラーメンが流行り過ぎて、今では逆にどのお店に行っても同じような物が出て来るようになってしまった。
なんかそうなるとラーメンに新鮮味を感じられなくなってしまうのは、アラフィフとうちゃんだけではあるまい。
で、ここ最近では一周回って、昔ながらの町中華に人々の目がまた向くようになった感がある。
立食いそばにはそういう流れは来ないで欲しいと思う。
良い意味で、立食いそばはいつまでもチープな食べ物であって欲しいとアラフィフとうちゃんは密かに願っている。
横浜の相鉄線の改札口を出た時、蕎麦つゆの香りと、古臭いお店が視界に入って来る。
横浜で生まれて座間に移り住んだ僕にとって、これは「ああ、横浜に帰って来たな」と思う瞬間でもある。
立食いそばに限らず、最近ではそういうお店ってどんどん減って行ってしまっている。
コロナ禍がさらにそんな流れを強くしてしまった。
今でも変わらず、5番街商店街入り口に佇む古臭いお店。
お店の前で無言でそばを手繰るお客さんたち。
もはやそれは神奈川県民にとって、そこになくてはならない風景でもある。
その風景さえも鈴一の「味」の一つだ。
立ち食いそばまとめ。日本橋界隈編。