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僕の実家からNikonの一眼レフカメラをゆーがもらって来た。
このNikon、デジタルじゃなくてフィルムのカメラだ。
でも、残念ながら裏蓋が壊れてしまっていて動かない。
普通ならここで諦めるんだろうけど。
でもどうやらゆーはどうしても直して、このNikonのカメラを使いたかったらしい。
僕としても、自分の父親が存命の時に使っていたカメラを、その孫のゆーが使ってくれるというのならこんなに嬉しい事はないしね。
Nikonを直しにカメラのキタムラに行ったんだが。

そんな事でNikonのフィルムカメラの修理をお願いしに、カメラのキタムラに向かった。
まあ、部品はもうないかもね・・・。
そう言いながら、二人でキタムラに行った。
行く前からダメ元だ。
で、案の定である。
「部品がないから修理は出来ませんね・・・」
キタムラの受付で、店員さんはカメラを手にする事なくあっさりとアラフィフとうちゃんとゆーにそう告げて来た。
最初からダメ元なので、そう言われた時にはそれほどショックは受けなかった。
ああ、やっぱりという感じと言うのが正直な所。
でも、でもなのだ。
アラフィフとうちゃんにとって、カメラ、自動車、バイク、時計なんかの類は一生モノというカテゴリーに入るものだ。
使い込むほどに思い出も重なって大切にしたい物になるし、そして一生、使い続けていたくもなる。
けれど、それを作ったメーカーは古い製品だと部品がないという事でバッサリとユーザーを切り捨てるのが日本。
それじゃあ、文化が育つ訳がない。
そんな事だから所詮、日本は何につけても二流なのだ、と思う。
もちろん、採算を考えたらそんな事はやってられないって言うのはあるんだろうけどね。
でも、もう少し考えようよ、って言いたくなる。
僕が今でも大事に乗っているカワサキのGPZ900Rだって、2003年式だけれど、もうメーカーにはストックされていない部品も出て来ている。
それが今でも快適に乗れているのは、普段、お世話になっているバイク屋さんがなんとかコンディションを保ってくれているからだ。
この間、日本製の時計が壊れたので、修理に持って行ったら、これも同じ理由で断られた。
その時計、かあちゃんと結婚した時に二人で買ったお揃いの時計だ。
気に入っていたし、何より二人の思い出が詰まってたんだよね・・・。
これも仕方ないので、壊れているけれども思い出として手元に置いてある。
本当、なんだかなという感じがする。
僕は時計も好きなので何本か持っているのだけれど、例えばロレックスとかオメガなんかは発売から何十年経っても修理もオーバーホールも受け付けてくれる。
これこそ一生モノだ。
メーカーのバックアップがあるから安心して、ずっと長く使っていられる。
この間、自動車メーカーが某芸能人の車をレストアした事で話題になったけれども、あれも僕は聞いて??と思ってしまった。
レストアするのは相手が芸能人の場合だけ??
メーカーって相手を選ぶんだ・・・。
某自動車メーカーは、フラッグシップのスポーツカーのレストアを始めたんだけどね。
この車は当社にとっても特別な存在。
その時、そのメーカーのコメントがこれ。
じゃあ、他の車はレストアしないんだ。
特別な存在かどうかはユーザーが決める事だと思う。
メーカーにとって特別な存在の車しかレストアしないっていうのはどうなんだろう??
日本のメーカーは自分が作った製品を大切にしてくれるユーザーを、決して大切にしない。
一方で欧州とかに目を向けると、古くて良い物を長く使う文化があったりして、そういうのを見ていると本当に羨ましく思う。
日本も車にしろバイクにしろ、そしてカメラにしろ、商売、採算抜きにして古い物を長く使う事を大切にしていれば、欧米のような文化が花開いたと思うのだが。
やっぱりカメラはライカだな・・・。
今回の事で、つくづくそう思ってしまった。
一方で、ゆーはさすが理系男子。
キタムラの帰りにハードオフに寄って、同じNikonのカメラを部品取りとして買って来た。
そしてあっという間に、自分で直して父親のカメラを復活させてくれた。
なんか、それを見てアラフィフとうちゃん、ジンと来てしまった・・・。
きっと天国で僕の父親も喜んでると思うよ。
大学受験するってよ、ウチの息子くん。