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そろそろ、リモートワークが始まってから1年くらいになるね。
正確にはもう1年は経っているのか。
リモートワークとかテレワークという言葉はそれ以前から知っていたけれど、まさか2020年から自分がリモートワーク中心になるとは思わなかった。
リストラ寸前のとうちゃんは1994年に会社員になった。
当時から見ると、テレワークも含めて本当に時代は変わったね・・・
テレックスで海外事務所と通信。

僕が会社に入って、配属された部署を初めて訪れた時の事。
そこでは一人のおじさんがタイプライターみたいな物に向かって、何やらカタカタとやっていた。
しばらくするとタイプライターみたいな物の上から、文字が打たれた黄色い紙がダーっと出てきた。
そこに書いてある文字は全部、アルファベット。
それが何か僕にはわかんなかったけれど、とにかくスゲェと思った。
あれ、なんですか?
指導員の人に聞くと、テレックスだと教えてくれた。
海外の事務所の人とやり取りをするのに、テレックスを使うのだという。
テレックスって今の人には馴染みがないと思う。
イメージとしてはアナログ的なE-mailみたいなもの。
テレックスでメッセージを発信すると、海外事務所のテレックスにその文面がカタカタと印字されて出て来る。
実際、朝、会社に行くとテレックスには海外事務所から送られてきたメッセージが印字されて、床にたくさん落ちている。
このテレックス、山崎豊子の小説にも登場する。
「不毛地帯」という小説では、「テレックスを打ちまくり・・・」というフレーズが頻繁にあり、それを見ては自分もなんだか仕事が出来る人間になったような気がしたものだ。
やがて朝一番でテレックスを読んで、担当の人に配るのが新人だった僕の仕事になった。
最初の頃は何が書いてあるのか、本当に分からなかった。
テレックスは一文字単位で、課金される。
だから文面は略語を使う。
Thank you your message.はTks ur mssgっていう具合に。
そしてOne sentenceごとにピリオドの代わりに「Z」を使う。
だから、Tks ur mssg zとなるワケだ。
なんだかこういう文面のテレックスを扱っていると、自分がスゴい仕事をしているような気分になったもんだ。
そしてしばらくすると、自分でもテレックスを使って海外事務所の人とやり取りをするようになる。
一応、最初の頃はテレックスを発信する前に指導員の人に、文案を見てもらうのだけれどそれでも海外事務所の人に何を言っているのか分からないと言われてしまう事もあった。
会社に入ったばかりの頃は、大学の同級生なんかとよく飲みに行った。
当時は同級生には、こんな仕事してるんだぜと何気に自慢をしたものだ。
でも、しばらくして世の中にe-mailが登場した。
僕の自慢のネタはe-mailの登場であっという間に淘汰されてしまった。
某生命保険会社のヌードカレンダー

これは今では本当に信じられない。
僕が会社に入った当時、事務所に出入りしていた生命保険の外交員さんがヌードカレンダーを配って歩いていた。
しかもそのヌードカレンダーをおじさん達は平気でデスクの上に置いていた。
生命保険の外交員さんは、見込み客である僕にもヌードカレンダーを置いて行こうとした。
けれども、さすがに僕には違和感があってそれは断ったんだけどね。
中にはすごいおじさんがいて、ヌードカレンダーと女子社員を見比べて、からかったりしていたっけ。
今なら完全にアウトだよね、
24時間、働けますか?

僕が大学生の時、24時間働けますか?というフレーズのCMがあった。
当時はバブルで、サラリーマンは働き尽くめというのが当たり前の時代。
もっとも、働けば働くだけ給料が上がったのだから、当時は満足感もそれなりにあったのだど思う。
生憎、僕が会社に入った頃はバブルは既に弾けていた。
だから僕は派手な接待とか、そういうのは全く経験していない。
けれども、仕事の仕方は以前としてバブル時代のまま。
簡単に言うと、残業をしているヤツがエライ。
休日出勤は当たり前。
そんな感じだった。
定時が過ぎて7時とか8時に、お先に失礼しますと言って帰るという雰囲気は全く職場にはなかったよね。
だから仕事がなくても、10時頃までは事務所でグタグタしてたっけ。
たまに本当に仕事で遅くなって、電車がなくなってしまう時もあった。
仕方ないのでその時はタクシーで帰るのだけれど、会社を見上げると午前2時とか3時と言うのにどのフロアも当たり前のように明かりがついている。
当時、過労死という言葉はあまり使われなかったしもちろん、ブラック企業なんて言葉はなかった。
それがここ最近、僕の会社も社内の雰囲気は180度変わった。
残業は夜10時まで。
それ以降は上司に申請をしなければいけないけれど、ほぼ承認は取れない。
象徴的だったのが、会議の時に役員が残業はコンプライアンス違反であり、犯罪とおんなじだと言っていた。
会社に入った頃はモーレツに働くのが当たり前だったけれど、今は本当に時代は変わった。
飲みニケーションは皆無。

仕事もそうだけど、職場の人たちと飲みに行くという事も、僕が会社に入った頃はもの凄いものがあった。
とにかく、上司は毎晩のように飲みに行く人で、そのお誘いを僕も頻繁に受けた。
何が凄いって、残業をしていて11時とか12時を過ぎても飲みに行こうと誘って来る。
12時から飲み始めると、終電まで数十分くらいしかない。
でも、そう告げてもお断りにはならなくて、じゃあ、ちょっとだけと言って飲み屋に連れて行かれてしまう。
実際に飲み屋に入って10分とかそこいらでじゃあ、というワケにはいかない。
そんな事で、当時、タクシー代は物凄くかかった。
僕が新人の時代は休日出勤も当たり前で、金曜日になると上司に明日は来るのか?と暗に出社を促されているような雰囲気があった。
仕方ないので土曜日に出社して仕事をしていると、そろそろ昼飯だという事で上司達と一緒に近くの中華料理屋に出向く。
すると上司達はそこでビールを飲み出すワケだ。
そうなるともう仕事にはならない。
午後からオジサンたちとビールに餃子なんかで昼飲みが始まる。
要は上司達は家にいても仕方ないので、仕事と言って会社に来ているのだけれど、僕はそれに付き合わされていた事になる。
もちろん、そんな時代はとうに終わっていて今は残業とおんなじように休日出勤はご法度となった。
10年を切った定年までの時間。

定年の60歳まで、もう10年を切った。
このタイミングでリモートワークが中心になるとは思ってもいなかった。
けれどもこの調子で言うと、時代の変革はまだまだ変わるんだろうね。
昔はネクタイをして会社に行ったけれども、今は必須ではなくなった。
おかげでたまにネクタイを結ぼうとすると、はて?となってしまう時がある。
そろそろスーツすら必須ではなくなるように思う。
リモートワーク中心になったけれど、会社の事務所は以前として都内にある。
今は週イチで出社するのだけれど、もちろん他に出社している社員は全然少なくてフロアはガラガラ。
当然、そんな状態だから会社もこんな家賃が高い場所に事務所を構えなくても・・・ってなるんだろうね。
近いうちに僕の会社も移転をする事なるのかもしれない。
そして、極め付けはAIに仕事を取られるようになって、僕たちの食い扶持はベーシックインカムに頼るようになる。
多分、そんな時代はそう遠くないように思う。