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今日は月に一度の検査の日。
国立病院(正しくは独立行政法人国立病院機構)でほぼ1日、いろんな検査を受けて来た。
この生活、もう今年で4年になる。
動脈乖離、動脈瘤で救急車で病院へ。

忘れもしない、2017年9月の事。
当時、僕は48歳だった。
夕方の4時過ぎ、取引先と電話で喋っていて、受話器を置いた途端に胸に激痛が走った。
痛みが始まった時、それはもの凄い痛みだったけれど、少し時間が経てば治るだろうと思っていた。
けれど痛みは全然、引かない。
そんな事でその後すぐに僕は救急車で病院に運ばれた。
実はこの症状が出る1週間前から、僕はお腹を少し壊していた。
だからこの時もお腹の調子が悪くて、それで胸まで痛みが出たのだと思っていたくらいだ。
最初に運ばれた病院で、「浣腸をしてくれたら治るかも」と言ったのだけれど、医師は「そういうレベルの話じゃない」と僕の話を一蹴した。
やがて、別の医師がやって来て「もはやウチで手に負える状態じゃない」と言う。
その時、僕は自分の体に起こってる事はタダごとじゃないと初めて悟った。
それからまた救急車に乗せられて、今度は別の病院へ。
今度の病院は、さっきより全然大きな病院だった。
集中治療室に運ばれ、体には何やら一杯、コードが繋げられる。
周りにはたくさんの人がいて、よく分からない事をしゃべっていた。
痛みは依然として続いていて、もうどれくらい時間が経ったのか、自分でも分からないくらいだった。
やがて病院から連絡をしたのか、かあちゃんと一人息子のゆーがやって来た。
二人が来た事で、僕はそのまま家に帰れるのかと思っていた。
けれどどうやら話は逆で、そのまま入院という事らしい。
僕にとってはそれが生まれて初めての入院経験。
担当医から病状について説明を受けたのだけれど、それが動脈乖離、動脈瘤との事。
最初はその名前を聞いた時、??だったけれど、石原裕次郎がなったヤツと聞いて、それが大病だと初めて気付く。
後で担当医に聞いたのだけれど、致死率は7割だったと言う。
つまり3割の確率で拾った命という事になる。
今でもそれを思うとゾッとする。
アンタ、電通の人でしょ?

最初の病院には実は2回、入院した。
最初の退院をして2日ほど経った日、また胸に激痛が走り、今度は自力で病院に行き、そのまま再入院するハメに。
果たしてこの時の致死率は何割だったんだろうと自分でも思うのだけれど、それは怖くて医師には聞けなかった。
さすがに2回目の入院は長くなった。
1回目の事もあるんで、担当医はなかなか退院をOKしてくれない。
おかげで担当医、看護師だけでなく、掃除のおじさん、おばさんとも仲良くなってしまった。
病院の掃除をしていると、おじさん、おばさんでもどうやら病気に詳しくなるらしい。
いつもベッドの周りを掃除してくれてるおじさんが、僕にこう言った。
「アンタ、電通の人?」
その問いかけに僕は??でしかなかった。
けれどおじさんが言うには、ここの立地柄、その病気で運ばれてくるのは電通の人が多いんだよとの事。
ちなみにその病院は大江戸線の赤羽橋の近くにあった。
僕は残念ながら電通の社員じゃない。
そう答えると、おじさん、「そう、でもストレスがこの病気の原因らしいから気を付けてね」と言葉をかけてくれた。
実際、それまでの僕を取り巻く環境を思い起こすと、やっぱり原因はストレスなんだろうなと自分でも思ってしまう。
それ以来、僕はなるべくストレスを抱え込まないよう、自分でも十分に注意をしている。
病気が僕を健康にしてくれた。

変な話だけれど、病気が僕を健康にしてくれていると思う。
最初の病院を2回退院した後、自宅近くの病院の方が通いやすいので僕は転院をした。
その病院が今の国立病院だ。
最初、国立病院での担当医の説明では、やがて自宅近くの町医者に転院出来るとの事だったけれど、今だに僕は国立病院を卒業出来ずにいる。
今の担当医からとにかく言われているのは血圧のコントロールだ。
動脈乖離、動脈瘤は血管の病気。
血圧が高くなって血管に無理な力をかけ続けると、また同じ事が起こりかねない。
特に僕の場合は一回、そういう事になっているから、他の人に比べて再罹患しやすいとの事。
血圧のコントロールは、食事に気をつける事、適度な運動、そしてストレスを溜めないという事に尽きる。
答えを出すまでにいろいろ悩んだけれど、出世よりも自分の命の方が大事という事で、僕は会社に一切の昇進を断った。
一つポストを登れば、体にかかるストレスは比例して増えるからね。
食事は塩分をとにかくカットする。
そして運動はウォーキング、釣り(川っぺりを歩き回ってするバス釣り)、そして自転車などなど、精力的に取り込むようにしている。
おかげで変な話だけれど、今は病気が僕を健康にしてくれているようなものだ。
もし病気にならなかったら、今頃は大好きなラーメンを毎日のように食べただろうし、ここまで運動もしなかったと思う。
そして相変わらず仕事には猪突猛進で、体の中に溜まってるストレスの存在にも自分では気が付かないほどだったんじゃないだろうか。
致死率7割の病気になったけれども、今は同世代の人よりも自分の体は健康なんじゃないかと思うくらいだ。
答え合わせはまだまだ先の事だけど、ひょっとしたら僕は長生き出来るのかもしれない。
長生きすると言っても、ベッドの上で寝たきりじゃ意味がない。
80歳、90歳になっても好きな事をいっぱい出来るだけの体力がその時、残ってるといいね。
そうなるように、今は自分の健康管理はしっかりとして行こうと思う。