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リストラ寸前のとうちゃんは人生を楽しむことにした。

グルメ コラム

昭和の日。生麦のどん八でそばをたぐる

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2021年のGWが始まったけれど、初日の昭和の日はあいにくの雨。

バイク、釣り、自転車・・・。

どれも雨が降ると厳しい趣味ばかり。

仕方ないので、他の事をしようと考えた。

そうだ、かあちゃんがマグロが食べたいって言ってたっけ。

かあちゃん、ここの所、毎日残業ばっかでヘロヘロだし。

美味しいもの食べて、元気になってもらわねば。

そう思い立ち、今日は午前中の早い時間から車で家を出て、横浜の洪福寺松原商店街へ向かった。

立ち食いそば、どん八@生麦

そのまま自宅から松原商店街に向かえばいいのだけれど、ついでと言う事で洪福寺を通り越して生麦にまで足を伸ばした。

アラフィフになって、ラーメンよりも立ち食いそばに惹かれるようになった僕。

最近、SNSとかで見て、気になっていた立ち食いそば屋が横浜の生麦にある。

それがどん八というお店だ。

首都高速の生麦インターが近いという事で土地柄、トラックの運転手さんにも人気のようだ。

生麦にはバイクでよく走りに行っていた。

だけど、どん八というお店を知った時、そんな立ち食いそば屋ってあの辺にあったっけ?という感じだった。

つまり、それほど記憶に残るような店構えじゃないと言う事だ。

でも、立ち食いそばって案外、そういうお店の方が美味しかったりもする。

なので、いつか行こうと考えていたのだけれど、なかなか足が向かずにいた。

それがやっと今日、念願叶えたというワケだ。

せっかく車で座間から横浜まで向かうのだから、ちょっとだけ足を伸ばしてみようかと。

一応、今はダイエット中だけど、立ち食いそば一杯ならまあ、いいかと。

箱根駅伝のルートにもなっている国道15号の生麦の交差点を埠頭の方に曲がる。

すると程なくして「そば」の文字を掲げるお店が見えて来た。

そう、高速道路の高架の手前に見えるのがお目当てのどん八だ。

あれだ・・・。

やっぱり思っていた通り、お店はそれほど大きくはない。

バイクで走っていて気にしていなければ気が付かなくてもおかしくない、大きさ、ビジュアルの店構えだ。

でも、今日はすぐに気が付いた。

お店の外観からして昭和っぽい。

この昭和の日に来るのなら、こういうお店がよく似合う。

立ち食いそばのお店に来ると、僕が頼むのはほぼ「かき揚げそば」一択。

かき揚げそばを食べれば、そのお店のレベルはすぐに分かる。

お店の中には僕の他、お客さんはいない。

程なくして僕にかき揚げそばが供された。

なんか、見た感じはすごく良いね。

失礼ながらお店構えからすると、お味の方は・・・と思っていたけれど、良い意味でその期待は裏切られた。

ずずぅ〜。

一口、そばをたぐってみた。

うん、なかなか美味い。

出汁は良い香りをまとっているし、そばものどごしがいい。

立ち食いそばのお店としては合格点だ。

これ、400円で食べられるって言うのは、本当に有難い。

アラフィフだから当たり前なのだけれど、僕が子供の頃を過ごした昭和の時代ってこういうお店は多かった。

けれど、ネットニュースでも流れていたけれど、コロナ禍で閉店してしまうお店って増えているらしいね。

立ち食いそばをたぐる時に感じる誰かの視線。

ホント、こういうお店って、昭和の時代は至る所にあったと思う。

僕が小学校に入るか入らないかの時だったと思う。

3つ年上の兄に連れられて、買い物に出掛けた時のことだ。

買い物が終わってそろそろ帰ろうという時、腹が減ったと兄が言い出した。

ちょっとそばでも食べて帰ろう。

そう言って兄はバス停の横にある立ち食いそば屋に僕を連れて行った。

その立ち食いそば屋、ほったて小屋にカウンターがあるだけって感じの店構えだ。

そこでそばを食べていると、バス停で並んでいる人からは丸見えになる。

時間はまだ夕方だ。

今、ここでそばを食べれば家に帰って晩ごはんを食べられなくなる。

だから本当は僕はそこでそばは食べたくなかったんだ。

けれど、それを3つ年が離れた兄に言えばどう言うことになるか。

子供の頃、兄の言う事は絶対だった。

だから僕は何も言えず、自分に出されたかけそばを食べた。

立ち食いそば屋のカウンターは大人の背丈に合わせてあって、小学校に入るか入らないかの僕には高過ぎる。

カウンターの上に置いてあるそばは、どんなに背伸びをしても届く位置にはない。

仕方ないので僕はカウンターの下にある、大人が荷物を置く棚にどんぶりを置いてそばを食べた。

案の定、家に帰ってから僕は母親が作った晩ごはんを食べる事は出来なかった。

そんな僕を見て、母親が言った一言。

かけそば食べたら、そりゃ、食べられないよね〜。

その言葉に僕は本当に驚いた。

なんで知ってるんだろう、と。

まさか兄が母親に言うはずはない。

どうやら、バス停で僕と兄がそばを食べているのを近所の人が見ていたようだ。

僕は大人になった今でも、立ち食いそばをたぐる時、誰かに見られているような気がしてならない。

カラオケを外に向けて大音量で歌う隣のおじさん。

僕は横浜で生まれ育った。

横浜と言えば聞こえはいいかもしれない。

けれど、横浜と言っても港の方ではなくて、僕が住んでいたのは緑区という自然豊かな方だ。

記憶では小学校に入る前までは、家の前の道路は舗装されていなかったように思う。

夜、兄と二人で道を歩いていると、少し離れた所に何やら光っている物が見える。

ヘビだ・・・。

兄が光る方を見てそう言うものだから、幼かった僕はマジでビビってしまった。

隣近所とは塀も垣根もなく、なんら遠慮する事なくサンダルを履いて行き来をするような所だった。

そんな所で僕は育ったのだけれど、今、考えても隣に住んでいたおじさんは凄かった。

そのおじさん、カラオケが好きで酒を飲むと良く歌っていた。

よく歌うと言っても基本、毎晩、酒を飲むのでカラオケは毎晩、歌っていた事になる。

そのカラオケの歌い方が凄かったんだ。

自分の家の中で歌うのなら、まだいい。

そのおじさんは何を考えていたのか、歌うときはカラオケのスピーカーを縁側に置いて、しかも音の出る方を外側に向けている。

そしてボリュームは聞こえて来る音量からすると間違いなく、最大にしていたはずだ。

縁側の戸は全開なので、隣近所ところか、おじさんの歌声ははるか遠くまで鳴り響いた。

その歌声は完全にダミ声で、スナックとかで歌っているおじさんのカラオケの典型的なものという感じ。

子供の僕でもおじさんの歌はヘタクソそのものだったのだけれど、多分、おじさんはその事には気付いていなかった。

いや、おじさんは自分の歌はヘタクソどころか、逆に上手いと思っていたのだろう。

だから上手い歌を近所の人に聞かせたくて、スピーカーを外に向けて歌っていたのだと思う。

そんな感じで歌うものだから、近所の人の中には文句を言いに行ったり抗議をする人もいたと言う。

けれど、なぜか文句を言いに行った人もおじさんに言いくるめられて一緒に酒を飲みながらカラオケを歌う羽目になる。

多分、あのおじさん、根はいい人だったのだろうね。

でも、そんな事は昭和の時代だからこそ、出来たんだと思う。

今、そんな事をしたらそれこそ警察沙汰になるし、ネットやワイドショーで取り上げられてしまうかもしれない。

僕の実家はだいぶ前にそこを引っ越した。

風の噂で隣のおじさんが亡くなったと聞いたのは、しばらく経ってから事。

ああいうおじさんのような人って、この時代では見なくなった。

そしてどん八のような立ち食いそば屋も減った。

どうしてもアラフィフになった僕にはその事が寂しく思えてならない。

多分、今の僕が隣のおじさんにカラオケがうるさいと文句を言いに行ったら、すぐに一緒に歌うようになっていたと思う。

そう思いながらたぐるそばは、何やら懐かしい味がした。

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