アラフィフとうちゃん、仕事しないでバイク、自転車、釣り、SUP、キャンプなんかを楽しんでます♪

リストラ寸前のとうちゃんは人生を楽しむことにした。

コラム

昔、サーフィンやってたよ、リストラとうちゃん。

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この間、オフタイムで湘南まで行った時の事。

しばらく鵠沼海岸で海を眺めていた。

サイズは小さかったけれど、波に乗ってるサーファーを見ていて昔を思い出しちゃったな。

昔と言うのは、僕が14歳から30歳半ばまでの頃。

その頃、僕もサーフィンをやっていたんだ。

サーフボードを見て美しいと思った。

その頃はまだ、ネットなんてない時代だ。

何か情報を得ると言えば、テレビとか雑誌というのがその手段。

中二で他の同級生より少しませていた僕は、特にアンテナは高かったように思う。

ある時、本屋で立ち読みをしていた時、ふと目に止まったサーフィン雑誌を手に取った。

たしかその雑誌はFineの特集号だったね。

サーフボードのカタログで、ショートボード中心にたくさんの板が雑誌に並んでいたんだ。

パラパラっとめくって、そこに並ぶサーフボードに僕は一発でロックオンされてしまった。

なんてサーフボードって美しいんだ・・・。

ショートボードなので、どの板も笹かまぼこのように曲線を描いている。

その曲線がとても綺麗に見えた。

特にTown&countryの板だ。

あの独特のロゴ。

そこに自分はまだ知らない世界が広がってるように見えた。

それがキッカケだったね。

僕がサーフィンを始めようと思ったのは。

しかし、Town &Countryのサーフボードって見かけなくなった。

服はまだ売っているようだけど、サーフボードとしてのブランドはもう無くなってしまったのかな?

Town&Countryのサーフボードが全盛だった時代にサーフィンをしていた僕としては、それも寂しい限りだけど。

武藤商店。鵠沼のおばちゃん。

中学生だったので、もちろんバイトなんて出来ない。

だからサーフボードとかウェットスーツを手に入れるのは、とにかく苦労したね。

それでもなんとか先輩から、便所の蓋のようなサーフボードを手に入れて、喜んで海に行ったっけ。

初めて海に入った時の事を今でも覚えている。

一人で行ったので、海に漂っているたくさんのサーファーを見て、少し気後れしてしまった。

それでも、気を取り直し、ウェットに着替えて海にパドルアウトして行った。

その時はスープでなんとか立つ事が出来た程度だったね。

でも、メチャクチャ楽しかった。

そしてそれから僕はどんどんサーフィンにハマって行ったんだ。

最初の頃は、横浜の長津田から横浜線に乗って、町田で小田急線に乗り換えて鵠沼海岸まで行っていた。

波乗りをしている間、荷物は海岸に置きっぱなしだ。

ある時、そんな電車サーファー達の荷物を預かってくれる雑貨屋さんが海の近くにある事を知った。

武藤商店だ。

そこにはおじさんとおばさんがいて、中学生とか高校生とかの電車サーファーの面倒を見てくれていた。

武藤商店はもうない。

たまにお店があった所を通った時、おじさんとおばさん、元気かなと気になるのだけど、玄関のベルを鳴らす勇気が今の僕にはない。

武藤商店でお世話になって、僕のサーファーとしてのスキルは大きく上がった。

なんでかと言うと、おじさんとおばさんからプロサーファーの人を紹介してもらって、いろいろと教わる事が出来たからね。

とにかく、僕の人生の中では楽しい時代だった。

コレラが出たぞ

ある時、学校が終わった後、僕はいつものように電車に乗って鵠沼海岸まで行って波に乗っていた。

その日の夕方。

波はそこそこ良いのに、引地川の河口には誰もいない。

こんな日もあるんだな・・・と僕は波を独り占めしていた。

「おーい!」

そんな声を聞き、海岸の方を見てみると、顔見知りのサーファーが僕を呼んでいた。

最初は単なる挨拶だろうと思って、僕はアウトから彼に手を振っていたんだ。

そして来る波、来る波を乗っていた。

けれど、彼は僕の事をずっと呼び続けている。

「んん?」

どうやら彼は僕に用があるらしい。

インサイドまで波に乗って来た後、そのままスープにも乗り岸辺まで戻って来たんだ。

すると彼は笑いながら僕にこう言った。

「あのな、この間な、引地川でコレラが出たんだよ」

彼は笑っていたけれど、僕は生きた心地がしなかった。

何度も何度もシャワーを浴びて、着ていたウェットスーツもしつこいくらい洗った。

それでも、そのウェットスーツはしばらくは着れなかったけどね。

サーファーのマナー

武藤商店のおばさんにプロサーファーを紹介してもらって、僕は次第に鵠沼の海には入らなくなった。

ホームグラウンドは鎌倉の海になった。

鵠沼は当時、電車サーファーも多く、海の中のマナーはあんまり良くなかった。

サーフィンって、ルールがあってね。

基本は1本の波には1人しか乗れない。

波のピークにいる人がその優先権を持つ。

鵠沼ではOne Wave One Manというルールは曖昧だった。

でも、クラシカルポイントの鎌倉は違う。

ローカルサーファーの中にはルールを守らないと、すぐにパンチアウトを食らわす強者もそれなりにいたしね。

それまで鵠沼でヌルいサーフィンをしていた僕にとっては、鎌倉の海はまるで別世界だった。

でも、それ以上にそこでサーファーの文化とかしきたりみたいな物を学んだように思う。

けれども、それも変わってしまった。

クラシカルポイントであるはずの鎌倉の海にも、鵠沼で波に乗っているようなヌルいサーファーがたくさんやってくるようになった。

当時、鎌倉のサーファーの間でもそれなりに顔が知られてるようになっていた僕は、そんなヌルいサーファーに優しく指導をしたものだ。

それでも前乗りとか、そういうルール違反は無くならない。

鎌倉の海も変わったな・・・。

そう思いながら稲村の沖で、周りのサーファーの顔を見渡すと、昔から知っていた顔もだいぶ減っている。

僕はわりと簡単に波を降りてしまった。

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