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春分の日が近い。
春分の日と言えば、墓参りだ。
お彼岸の春分の日と秋分の日、我が家はみんなで揃って墓参りに行く。
お墓参りって、日本人なら疎かにしちゃダメだよね。
細木和子が言ってた。墓参りに行かない奴は成功しないって。

最近ではすっかりテレビに出なくなったけどね。
あの人が言う事って、すごく為になると思ってテレビに出てると真剣にいつも見ていた。
そんな中で忘れられない一言がある。
「日本人には先祖を敬う文化がある。墓参りをしない奴は成功しない」って。
なんか根拠のない話だけど、でもその言葉は僕の中には自然な感じでスッと入って来た。
理屈じゃなくて、そうだと思う。
なんて言うんでしょう、ご先祖さまがいたおかげで今の自分がある、だから感謝せねばって事かなと。
その感謝の現れが墓参りだと思って、僕はご先祖さまに手を合わせる。
もともと、お墓参りは盆暮れには欠かさない方だった。
けれどそれ以来より一層、お墓参りには行くようになった。
2007年から仕事で福岡に転勤になっても、お墓参りは欠かさなかった。
当時、月イチである会議に出るために福岡から東京に来ていたのだけれど、その時も時間を見てはせっせとお墓参りに行った物だ。
なんで、そんなに墓参りに精を出すのか。
自分でもうまく言えないのだけれど、やっぱりそれは今、自分がいるのはご先祖さまのおかげだと思っている部分が強いからだと思う。
言い方を変えると、今でもご先祖さまに守られてるって感じる部分があると言うか・・・。
僕の父親が昨年、コロナ禍前に亡くなってからは墓参りには月イチ以上のペースで行っているかもしれない。
ただ、一つだけご先祖さまに文句を言うとすれば、だ。
これだけせっせと墓参りに行ってるのに、今の僕は全然偉くなっていないって事だ。
行くぜ、墓参り・気仙沼編。

もうかなり昔の事。
ざっと20年も前の頃だろうか。
父親の実家は気仙沼にあった。
一度、父親を車に乗せて、二人で気仙沼まで墓参りに行った。
往復約1,000キロの道のりだったけれど、当時僕はまだ若かったのでなんと日帰りで行ったんだ。
家を出る前に、前から気になっていたドアに付いているバイザーを工具で取り払った。
少しグラグラとしていて、高速を走行中に取れたら大変と思って家を出る直前にそれを取り去った。
そして夜中に座間の自宅を出て、横浜に住んでいる父親を乗せて一路、気仙沼に向かう。
気仙沼には朝方に到着した。
当時の気仙沼は震災前だったので、港では朝食が食べられるお店が幾つかあった。
そこで父親と二人で朝ごはんを食べてその後親戚を周り、そして墓参りへ。
ひとことでお墓参りと言っても田舎の墓参りはマジで大変。
お参りすると言っても一つのお墓じゃない。
本家、分家、そのまた分家・・・。
そうなるとお墓参りだけでも数時間はかかる。
父親にこのお墓は・・・なんて説明を聞いても、ちっとも頭に入って来なかった。
そんな事で夕方には要件を済ませて気仙沼を立ち、座間には着いたのは当然、夜中になった。
30代とは言えやっぱり往復1,000キロ、ノンストップの運転はやっぱり堪える。
それでも座間の自宅の駐車場に車を止め、エンジンを切った時には無事に帰って来れた事に感謝した。
けれど、それはその時起こった。
車を降りてドアを閉めた。
そして僕はその時、車の屋根の上に乗っかっている一つの物を見て、目がテンになった。
ペンチがそこに乗っていた。
それは家を出る前にバイザーを取り払うために僕が使ったペンチだ。
気仙沼から帰って来て、車から降りたらそのペンチがその屋根の上に乗っていた。
???
どういう事・・・。
その時は疲れていて、思考回路が働かなかった。
冷静になってから頭を整理したのだけれど、どう考えてもこう言う事としか思えない。
僕は車の上にペンチを置き忘れて、座間から気仙沼に向かった。
そして気仙沼に向かう道中、そして気仙沼から座間に帰って来る間もそのペンチは屋根の上に乗ったままだった。
もちろん、座間から気仙沼への道中は高速道路を使った。
当然、僕の車は80キロとか100キロ以上のスピードで走っていたワケだ。
けれど、そのペンチは途中で落ちる事なく気仙沼にたどり着いて、そして座間まで帰って来た。
まさか・・・って思われるかもしれない。
確かにそうなんだけれど、屋根の上に乗っかったままのペンチはそうじゃなければ、説明がつかなかった。
もう一つ、不思議な事がある。
座間、気仙沼の道中、僕は何度も車の乗り降りをした。
もし、車の屋根の上にペンチが乗ったままだったら、途中で気付く機会は何度もあったはず。
でも、僕にはそんな記憶はない。
それから言うと、ペンチが屋根の上に乗ったまま、座間と気仙沼を往復したって言う事には少し疑問がある。
だけれども気仙沼から帰って来て、座間の自宅に着いた時の車の屋根には間違いなく、そのペンチは乗っかっていた。
なんだか良く分からない話だ。
だから僕はそれ以上、考えるのはやめた。
もし、屋根の上にペンチが乗ったままと言うのが本当だったとしたら、途中、落ちないで帰って来れた事に感謝しないといけない。
それこそ、高速でバイザーを落としたら・・・、という以上の事故になりかねなかったはずだ。
この事に、何の根拠もないけれど、やっぱりご先祖さまが守ってくれたのかなって思わずにはいられなかった。
去年、僕は高校一年生の息子くんと二人で気仙沼に行った。
その時はなんにも起きなかったけどね。
行くぜ、墓参り・沼津編。

今日は沼津までお墓参りに行って来た。
圏央道に乗って、厚木から東名高速へ。
座間からは富士山ってほとんど見えない。
けれどほんの少しだけ車で走ると、そこでは富士山が思った以上に大きく見える事に驚く。
そして中井あたりを越えると、そこに現れる富士山の姿には本当に圧倒される。
子供の頃には親に連れられて湘南にたまに行くと、その海岸線を眺めては感動の念を抱いたものだ、
中二になって、僕はサーフィンを始めた。
小田急線に乗って相模大野から、江ノ島線に乗り換える。
サーフボードを抱えて海に向かったのだけれど、電車の道中はやっぱりドキドキ感をいつも抱いていた。
けれど海を目の前にした時、あの、子供の頃の海を眺めた時のドキドキ感はいつしか抱かなくなっていた。
それと言うのも週2とか3で海を眺めて、そしてその中に入っていれば感動はいつしか日常になったからだった。
だけど、富士山は今でも違う。
東名の中井あたりを過ぎて、日常生活の中では全く馴染みのない富士山を見ると今でもドキドキ感を感じる。
そんな感動を抱きながら、今日は沼津へお墓参りへ行った。
そこにはかあちゃん(僕の奥さんの事)のお父さんが眠っている。
かあちゃんのお父さん。
いろいろ会って、生前には僕は一回しか会っていない。
そしてかあちゃんのお父さんは、4年前に亡くなった。
そのお葬式の時の事。
思いがけず、かあちゃんのお父さんが昔、GPZ900Rに乗られていた事を僕は知った。
その事はかあちゃんも知らなかったんだ。
それを知った時、僕にはいろんな思いが巡った。
もしかあちゃんのお父さんともっといろんな事を話したら、ひょっとしたら良い関係になれたかもしれない。
娘って、ひょっとしたら父親と同じような趣味とか趣向を持った男を好きになるのかもって事も思った。
自分の娘の婿が同じバイクが好きで、それを長く乗ってると知ったらお父さんはどう思っただろう。
東名高速を車で走っている時、毎回、そんな事を考えてしまう。
途中、僕の車をバイク達が追い抜いて行く。
今度はGPZ900Rでお墓参りに行こうかな、と。